商用人工衛星のプロジェクトに首まで浸かっていたころに、よく「この衛星の設計思想は」というような議論をしたものです。狭義には、これから設計するシステムに与えられた要求に応えるためコスト・性能・納期を最適にトレードオフしていく者の心得として、設計の方向性がブレないように、明確な「思想」なり「哲学」なりが設計者に必要になる、というような意味です。しかし、今回の原発事故が我々に与えた苦痛を考えると、巨大なシステムの開発設計の過程では、コスト・性能・納期の「経済的」なトレードオフで終わらせずに、要所要所で「哲学」的なアプローチが必要なのではないか?と広義の解釈があるべきと思うに至りました。医学部でも哲学の講義があるのだから、工学部でも哲学の単位を設けてもいいかも知れない。
と、考えるヒントになったのは、ボクの大学の山登りのクラブ(TWV)のOB仲間から以下のサイトを教えてもらったからです。
http://www.fromhc.com/column/2011/03/post-122.html
http://www.fromhc.com/column/2011/03/post-123.html
このサイトの筆者とボクには直接の面識はないのですが、彼も同じTWVのOBで専攻は「哲学」だったそうです。今は、俊英の投資アドバイザーである彼が、今回の原発事故をこう捉えているということから、Design Philosophyという言葉を思い出したというのが正直なところです。正確には”DesignとPhilosophy”というべきかな。技術屋、特に設計に携わる者は、経済合理性以外に何か別の要素を考慮しなければならない時があるのか?もし、そうなら、それは何時、どのようなことに必要なのか?(例えば、「津波の高さは最大5mと要求条件にあっても、もし10m、15m、20mの高さの津波が来たらどうしようという、技術や経済合理性を超えた怖れを感じた時に、何を考えて設計するべきか、、、?」というようなこと)、それには「哲学」という学問の支援が必要な分野かも知れない。
実は、ボク自身は哲学は敬して遠ざけてきたのですが、、、もう古い学問だと思ってたしね。理系としては、哲学の代わりに「複雑系」とか綜合的・横断的分野に活路を求めていたのです。しかし、今更ながら、全ての学問の祖先である「哲学」に理系の人間が、その説明力の強化や経済合理性を超えた領域での正しい座標軸の設定のためにも、支援を仰がなければならない時機なのかも知れません。Ph.DのPhは、今でもこれからもPhilosophyだものね。ギリシア・ローマの時代はPhilosophyが学問の根幹であり、数学も物理学も、そこから分家してきたものだということを忘れてはいけないのかな。
ところでコンチャン、余りにも理系なスペリングの間違い直してくれてありがとね!助かります~~m(_ _)m
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