Book Reviewの続きです。読書の秋で、あれこれ読み散らかしている本の印象を、劣化した自分のメモリーを補うためにメモしてるだけなので、ツマラナイ処は読み飛ばしてね。
カウンセリングの勉強の枝葉で、大脳生理学関係の本をあれこれ読んでみました。以前、脳外科医の林成之さんの本(「勝負脳の鍛え方」、「脳に悪い7つの習慣」et.al.)を紹介したことがありますが、今回は薬学系の研究畑から神経生理学・システム薬理学を専門とし、特に記憶に関係深い「海馬」研究の最前線にいる池谷裕二さんの著書から、
「単純な脳、複雑な私」(朝日出版社 2009)
「進化し過ぎた脳」(ブルーバックス 2007)
の二冊を読みました。これはちょっと凄い。二冊ともに、前回紹介の「それでも日本人は戦争を選んだ」と同じく、最前線の研究者が高校生に講義をするスタイルのものです。このやり方、講義する側とされる側が遠慮なくガチンコでぶつかる事情があれば、(例えば、母校の後輩への講義とか)専門家相手の論文を読んでるよりもフライングや不正確さもあるだろうが、よっぽど面白いし、分り易い。
ボクは、「単純な脳、複雑な私」から読んで次に「進化し過ぎた脳」を読んだけど、お勉強するつもりなら、逆順のほうがいいかも知れない。でも、「単純な脳、複雑な私」のほうが今のトピックスとしては面白いかな。<1-13.脳の早とちりは生存戦略にぐっと有利>とか<1-14.人の顔など半分しか見てない>なんてところを読むと、常識との違いにぶっ飛ぶよ。
この辺りを乱暴に要約すると、脳は直感的に相手が危ないやつなのか、安全なのか、怒ってるのか、幸福なのか、早合点して判断するということ。ゆっくり理詰めに考えてるうちに、敵や猛獣に襲われたらおしまいだから、早とちりしたほうが未だ生き残る可能性が高いということですね。人間の動きなんか、点が15もあれば感情まで表現できちゃう(15ドットの人間>http://www.asahipress.com/brain/)。また、男性の顔半分を右側に、女性の顔半分を左側にCGで合成した写真と、それを左右入れ替えた写真を準備すると、だいたい日本人の80%は相手の右側(向かって左側)の表情の第一印象で相手を判断するから、男性の顔が右側にある写真を男だと判断しちゃうんだよね。たぶん同じ効果を利用して、ダビンチはモナリザの右側の口元(向かって左側)は普通に、左側は笑って(口角を上げて)描いてる。だから、不思議な笑ってるような笑ってないような印象を人に与える。モナリザの絵をCGで左右逆転させると、右側が笑うので、ただの笑ってる女性に見えちゃうんだよ。不思議さがなくなってしまう。流石ダビンチ恐るべしだね。これは、百聞は一見にしかずですから、本屋で立ち読みの場合は(できれば買って上げてね)45Pと48Pの写真を見て下さい。
女性へのアドバイスとして、朝、時間がない時は、どうせ他人は人の右側しかろくに見てないから、お化粧は右側だけ取り敢えずやっておけばいいんですよ、、ということになりますね?
こういう話を読んでくると、おっちょこちょいなのは人間の本性だと分ってくるな。自分なりに解釈すると、理屈こねてる男達より、直感的に物事を判断する女達のほうが、結局は正しい(だから最後に生き残る)というのも頷ける、、ような気がする。あ、これは男女の個体差のほうが大きい話なので、カット。
ともかく、自分が「見えている」(と、思っている)ものが実は存在してなくて、「見えてない」ものがそこに存在している。こういうことが、人間の脳の機能として簡単に起こりえることを知ってるだけで、自分の思いだけで人を責めたり裁いたりすることが、如何に危険なことであるか思い知らされる。そういう意味で、この本の補足動画をこのサイトで見てみて。
http://www.asahipress.com/brain/pink.html
ピンクの点がぐるぐる回ってるでしょ。ところが真ん中の+印をじっと見てると、本当は存在しない緑色の点が見えてきて、さらに本当にあるピンクの点がなくなってしまう。ピンクの点は、あなたの目の網膜までは届いているのだが、ピンク色を認知するニューロンが仕事を止めてる状態で、逆にありもしない緑色の点をニューロンが認知したという反応を示しているわけです。うわ〜あんまり自分の目や脳を信じちゃいけないな!という気分になりますよね。でも、結局はちゃんと見えてる部分のほうが多い訳だし、真実に100%はあり得ないということを知ってることが重要なのかなと思います。
いっぽう「進化し過ぎた脳」のほうが、系統的に脳科学の最前線の知識を網羅してくれてるから、教養本としてはこちらを。特に、哲学的に「心とは何か?」と悩まれるかたには、お薦めですね。心とは脳の中で起きている何らかの事象なのだけれども、体や外の環境とすごく連動している。だから、頭の中だけで作られていると言い切ってしまうのも危ないようですね。「進化し過ぎた」という意味は、体と連動するはずの脳が(脳が体を動かすのですが、体によって脳が作られてもくる)、人間の肉体には勿体ないほど進化した潜在能力を持っているという意味です。決してSF的な脳が肥大したミュータントが登場してくる訳ではない。
そうそう、前回「それでも日本人は戦争を選んだ」の紹介で、「2001年のアメリカと1937年の日本の不思議な共通点を問いかけることから始まります。(さて何でしょう?答えは、次回。)」といい加減なことを書いちゃいましたね。これも荒っぽく要約すると、1937年当時の日本政府は日中の軍事衝突(@盧溝橋)を「報償」と呼んでいる。「報償」?相手側が条約違反等、国際的に見て不法行為をしている場合、それを止めさせるための実力行使を、「報償」と呼ぶのだそうです。相手が悪い事をしたのだから、それを止めさせる武力行使は当然とする、考え方、説明の仕方、こういう点に著者の加藤陽子さんは、2001年のアメリカと1937年の日本に共通的な何かがあることを示唆しているということでした。