本を読む時、作家の年齢が気になるほうです。彼は、彼女は、どういう歴史的環境下で何歳ぐらいの時にこれを書いたのか?特に、現近代の作家であれば、自分自身といくつ違う人なのか?父母や祖父祖母の年代と比べて前か後か?何故か、そういうことが知りたくなります。本読み虫として、邪道ですかね?読んだ本から受ける感銘は、そうした事とは直接の関係は無く、面白い本は古くても新しくても面白いのですが、、、
3年綴り日記の去年の今日を読むと、高校2年の夏休みの推薦図書「歴史とは何か」(E.H.カー著、岩波新書)をゆっくり、ゆっくり、読んだと書いてありました。高校時代にこんな難しい本読んで分るはずないよな〜と感慨にふけりながら、久し振りに充実した読後感を味わったことを思い出しました。このカー先生の生まれは1892年。明治17年生まれのボクのジイ様(鳥取県米子市で口は悪いが人のいい歯医者さんだった)より8歳若い。ちなみに、カー先生は、クリスマスが嫌いで、研究時間がクリスマスに家族と過ごすために削られることを呪ったそうです。そういう堅物のようでいて、実は3度も結婚し、そのうち2回は子持ちの人妻が相手。最後の結婚は74歳の時だったとか〜〜この挿話は、後述の加藤陽子さんの本に出てきます〜〜
一年後の先週、「それでも日本人は戦争を選んだ」(加藤陽子著、朝日出版社)を読了しました。この本の中に、カー先生の著書がたくさん引用されていて、一年前の読書と不思議な繋がりを感じました。読書というのは、多かれ少なかれ、こうした「繋がり」に出会う楽しみですね。「それでも日本人は戦争を選んだ」という本は、間違いなく最近の名著・良書だと思います。著者加藤陽子さんは、1930年代の外交史と軍事史を専門とする歴史の先生で、ボクより11歳若い。ジサマとカー先生の年齢差と同じくらいだね。だから何なんだ??なのですが。
さて、この本は、日本という国家が、日清戦争から太平洋戦争に突き進んでいく時間軸を辿りますが、冒頭2001年のアメリカと1937年の日本の不思議な共通点を問いかけることから始まります。(さて何でしょう?答えは、次回。)そして、偶然と必然の歴史的流れを多くの事例を引用し、それに関わる地図上の空間的広がりを解釈しながら、結局一つしか生じなかった現在に至るまで、まるでミステリーの謎解きのように講義は進んでいきます。この本の成功原因の一つは、著者が高校生20名に行った5日間の連続講義をまとめたものだからでしょう。カー先生の「歴史とは何か」も、1961年にケンブリッジ大学でなされた連続講義のまとめなのですが、「それでも日本人は戦争を選んだ」のほうは少数の高校生相手のInteractive講義録なので、ともかく分りやすい。「高校生レベルの知識層に説明して伝える事ができなければ、その人は科学を理解しているとは言えない」というのは、物理学者のファインマンの言葉ですが(池谷裕二著「進化し過ぎた脳」からの受け売りです。この本もNY慶応高校生対象の講義録)、私の経験からも、母校でシリコンバレーとNY(2001年.9.11にフォーカス)の体験談を講義した時には、準備に本当に魂が入りました。「歴史は科学と呼べるか?」というのも、カー先生から加藤先生に至る歴史の先生たちの一つの大きなテーマでもあるようですが、その辺りの議論も、聞き手が高校生であったという点で、分り易さで言えば、加藤先生の本のほうが現代的にはこなれているでしょう。もちろん、カー先生のあの時代における重要性を決して損なうものではありませんが。
いかん、いかん、対象が歴史の本のせいか、我ながら言葉使いがやたら用心深いな〜
しかも、タイトルと全く違うほうに話が拡散して収斂する気配を見せないぞ。(^_^;)
タイトルを書いた時に頭に漠然と浮かんでいたことは、わが家の本棚で大きい顔をしている司馬遼太郎、池波正太郎、山口瞳さん辺りを題材に、歴代直木賞作家と自分の親父・祖父の生まれ年を比べて、歳が上なのか下なのかを調べてみよう、できればそれぞれの著作へのレヴューを書いてみようと思っただけなのです。その理由もたまたま、普段は余り読まない司馬遼太郎の「街道をゆく」43冊のシリーズ第2巻目、「韓(から)のくに紀行」を読んだからなのです。
司馬遼太郎さんを何故余り読まないかと言うと、一つには、ある時期なんとなくビジネスパースン必読書みたいなブームがあって、少し煩わしいと感じてたせいあります。読書は、あくまで個人的な楽しみで、仕事に役立つからみたいなのは、ちょっとね、という感じがあって。その点、池波正太郎さんや山口瞳さんは、文句なしに面白い。昔から大、大ファンです。司馬遼太郎さんも産經新聞に「龍馬が行く」や「坂の上の雲」を連載していた頃は、毎日楽しみに読んでたんですがね。(古い、歳がバレる。)
突如、思うところあって、書庫に「積ん読」していた「街道をゆく」シリーズの中から「韓のくに紀行」を手に取ってみると、なんだかちょっと面白い。隆慶一郎の「一夢庵風流記」(大ヒットしたマンガ「花の慶次」の原作)に出てくる伽羅国の姫さまのイメージはこの「韓のくに紀行」の所謂司馬史観の影響がありそうです。池波さんや山口さんと選ぶテーマも構成も文体もまるで違うけど、何か匂いが似たところもある。そういえば、3人とも直木賞作家だったよね。いつごろ受賞したのかな?ちょっと、ググってみよう。以下Wikipediaから一部コピー:
- 第42回(1959年下半期) - 司馬遼太郎『梟の城』、戸板康二『團十郎切腹事件』他
- 第43回(1960年上半期) - 池波正太郎『錯乱』
- 第44回(1960年下半期) - 寺内大吉『はぐれ念仏』、黒岩重吾『背徳のメス』
- 第45回(1961年上半期) - 水上勉『雁の寺』
- 第46回(1961年下半期) - 伊藤桂一『螢の河』
- 第47回(1962年上半期) - 杉森久英『天才と狂人の間』
- 第48回(1962年下半期) - 山口瞳『江分利満氏の優雅な生活』、杉本苑子『孤愁の岸』
- 第49回(1963年上半期) - 佐藤得二『女のいくさ』
- 第50回(1963年下半期) - 安藤鶴夫『巷談本牧亭』、和田芳恵『塵の中』
え?司馬遼太郎さんと池波正太郎さんは、1年違いで受賞なんだ!山口瞳さんもその3年後?殆ど同じ時期の受賞者なんだね。では年齢は?
司馬遼太郎:生1923ー没1996
池波正太郎:生1923ー没1990
山口瞳:生1926ー没1995
司馬遼太郎さんと池波正太郎さんは同い年なんだね。山口さんは3つ下。ボクの親父は1914年(第1次世界大戦勃発の年!)生まれだから、親父よりはほぼ10年下の世代か。親父と同い年の直木賞作家はいないみたい。親父と同い年の作家をググると深沢七郎さんか。なるほどね。待てよ、ジサマは、どんな世代の人達と一緒かな。最初の頃の直木賞作家を見てみよう。以下Wikipediaから一部コピー:
- 第1回(1935年上半期) - 川口松太郎『鶴八鶴次郎』『風流深川唄』『明治一代女』
- 第2回(1935年下半期) - 鷲尾雨工『吉野朝太平記』他
- 第3回(1936年上半期) - 海音寺潮五郎『天正女合戦』『武道傳來記』
- 第4回(1936年下半期) - 木々高太郎『人生の阿呆』
- 第5回(1937年上半期) - 該当作品なし
- 第6回(1937年下半期) - 井伏鱒二『ジョン萬次郎漂流記』他
- 第7回(1938年上半期) - 橘外男『ナリン殿下への回想』
- 第8回(1938年下半期) - 大池唯雄『兜首』『秋田口の兄弟』
- 第9回(1939年上半期) - 該当作品なし
- 第10回(1939年下半期) - 該当作品なし
そうか、栄えある第1回受賞者は川口松太郎さんか。1899年(明治32年)生まれね。ジサマは1884年(明治17年)生まれだから、直木賞自体がジサマの世代よりは大分後になってできたんだね。直木三十五自身が1891年生まれだから、ジサマより7歳下なんだ。久保田万太郎は1889年生まれだから未だ若い。ジサマと同年の作家は、エート、長谷川伸ね。「一本刀土俵入り」ですか。ジサマの同年は、山本五十六、東条英機、竹久夢二。そういう時代だね。親父の同年は、丸山真男、後藤田正晴、金丸信、宇野重吉、笠木シズ子、ジョー・ディマジオか。直木賞作家で言えば、新田次郎(1912年生まれ)が2歳上ですね。。。。。
ボクは村上春樹さんと同年だけど、あの人は直木賞くれると言われても、もらわないだろうしな、、、、
と、こんな、具合の話をしたかったのです。